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2008年1月22日 (火)

080113-080120

2008113日から2008120

 

もはや全くWeeklyでない読書記録。今回は大江健三郎を真剣に研究している方々からは怒られてしまう内容ですが、許せよ。単純に面白かったのだ。

 

大江健三郎『静かな生活』講談社文芸文庫、1995.

去年大江作品を読むきっかけがあり、それまで「難解」という強い先入観を持っていた僕は、次第にその魅力に引き込まれていったのです。そも私小説という批判や、初期の難解な文章、あるいは外国文学風のスタイルなどはもう全く批評の具に十全足り得ない。というのは、大江健三郎さんは自らの直面する苦悩や困難を小説を書くという形でしか克服できない作家だという気が僕にはするので。それは小説を書けばそれに対して読者も現れますが、そも個人的な体験を個人的に克服昇華するためのプロセスにおける副産物でしかない、という可能性が大。でも、これは多くの人にとっても当てはまることでは?無様で惨めな人生でも生きていく中で様ざまに救済されていく。書くことで救済を求めるというのは、えらい目に遭いながら必死でそれを乗り越えていくことの一つの型なのだと僕は思っています。だから、僕は大江健三郎を批判することが出来ません。人様の人生を批判できる立場にはありませんので。ただ、強いて文章を読むレベルでテクストを論じることはあるかもしれないけれど、こんなに切実な物書きを小説家として呼んでいいのだろうか。

 さて、僕が大江作品を読むきっかけになったのは『おかしな二人組』三部作と呼ばれる作品群。それを読みながら彼の他の作品や状況に関心を持つようになっていったのですが(ただし、私小説のモデルを探すためではないですよー)、僕が言うまでもなく障害児の父としての大江健三郎という問題は非常に重きを成している。そのテーマ系でもっとも明るくさわやかな印象を残すのがこの本。『静かな生活』は表題作を含む6編の掌編からなっており、作家の父が母を伴ってアメリカへ行ってしまい、主人公マーちゃんは知的に生涯のある兄イーヨー、弟のオーちゃんといっしょに、日本でなんとか生活をしていかなければならない。

 兄イーヨーによって引きひきおこされる問題もあるけれど、全体は私の葛藤にささやかな光を投げかけるのはいつも兄であり、普段はマーちゃんにケアされる立場のイーヨーであるという構造が共通。語り手がマーちゃんであることも大変面白いのは、イーヨーの問題にかまけるあまり私や弟との微妙な距離が生じている父への批判的省察が随所に散りばめられていること。

 ここに語られている物語をあまりに楽観に過ぎる障害者受容であると言われても、まあ小説ですから、そんなことを言われても始まりません。こういうことがあったよ、という話ではなくて、障害を持った息子(マーちゃんにとっては兄)と生きることが、自分に強さや頑張る景気を与えてくれたよ、という感覚を6篇において変奏していると感じればそれで十分。講談社文庫に入っている『恢復する家族』、『ゆるやかな絆』と併せて読むとますます楽しくなる、心温まるストーリー。

大江にいつも暗鬱な作品を求める人は、多分高圧的な読者だ。小説家とは何を書いてもいいのですよ、という手放しの感覚からまず読むことをしないと、僕達は存命の大江健三郎を見誤ったまま弔ってしまう。

 講談社文芸文庫は装丁が独特で、カバーの折り返しが日本の文庫ではダントツに長い。あと、解説以外に研究の手がかりとなるような資料が付されていて、親切。ただし値段は少し高い。まあ、これくらいは安いものか。本書では伊丹十三の解説がついているのだけれど、ひょうげていて洒脱、なかなか良いですよ。

 

大江健三郎『性的人間』新潮文庫、1968.

 こちらはまあ初期の作品ということになります。読みづらいもん。「性的人間」、「セブンティーン」、「共同生活」の三作品が収められています。注目は「セブンティーン」で、これには続編「政治少年死す」というのがあるのだけれど、いろんな事情でついに日の目を見ず。読みたければ『文学界』の1961年2月号に載っています。学習院大学では探しても見つからないですが。

 『取り替え子』に出てきた、主人公長江古義人に敵対するジャーナリスト蟻松(モデルは本多勝一だろう)が言及していた作品ですね。

 

右翼が恐くて出さぬ『政治少年の死』を出版しろ、と自分に迫っていた文章を思い出し、憮然としたのである。(大江健三郎『取り替え子』講談社文庫、2004113

 

とにかく、作品を愉しむためにこういう背景を無視した上で、それを一つのジュブナイル小説と読むことも可能。青臭い少年が政治(的態度)を武器に、かつて自身もなく惨めな存在だった自分の自信を回復し、ついにはその鎧の力を過信していく物語として。ここに性の目覚めが重なっているのは、どちらもイニシエーションだからなのだけれど、ファナティズムと重なり合うこのグロテスクな少年の見事なモノローグ!

 

おれの男根が日の光だった、おれの男根が花だった、おれは激烈なオルガスムの快感におそわれ、また暗黒の空にうかぶ黄金の人間を見た、ああ、おお、天皇陛下! 燦然たる太陽の天皇陛下、ああ、ああ、おお!やがてヒステリー質の視覚異常から回復したおれの眼は、娘の頬に涙のようにおれの精液がとび散って光っているのを見た、おれは自瀆後の失望感どころか昂然とした喜びにひたり、再び皇道派の征服を着るまでこの奴隷の娘に一言も話しかけなかった。(180

 

内容は別に、この文章の力はすごいなあ。舞城王太郎ばりにいいなあ。この直前で「おれ」の制服(皇道派だというアピールになる)を見て恐怖の色を浮かべた女を見て、自信を回復するくだりも素晴らしい。というのはトルコ(今はソープランドですね)へ行くまでは、童貞のおれは「惨めな子供が酷い刑罰をうけようとする時のように青ざめて逆上して」いたのだけれど、この豹変振り。ユニフォームとは偉大なもので、人間やはり裸でいては駄目ね。

 収録の三編ではもっぱら「セブンティーン」を推す次第です。

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