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2008年9月11日 (木)

080911

Photo石持浅海『セリヌンティウスの舟』光文社文庫、2008.

  元々はノベルスで2005年に発表された作品。標題が美しい。装丁も美しい。
 セリヌンティウスが誰であるか思い出せる人はまあ、稀だろう。けれどほとんどの人がその名を知ってはいるはずなのである。というのは、太宰治の『走れメロス』に登場するメロスの親友、人質として暴虐の王に身を預けることとなった義理の人の名でそれはある。
 種明かしをするつもりはないのだが、密室の事件。外側から密室を発見するのではなく、はじめから全員が密室に閉じ込められている。その中で犯人探しが始まるが、そこにいる全員が強い友情で結ばれている。
 犯人を見つけることよりも、疑念を晴らすことに主眼が置かれる推理の道筋はストイックに論理的だが、気になるのはブラッフの執拗さか。Aが犯人であるとしても、途中まで当て馬としてBを犯人であるかのように誤解させる情報、それがあまりに執拗に繰り返されるため、読者は「少なくともBは犯人じゃない」と分かってしまう。結局はミステリの作法なのだが、それが疎ましい。
 標題どおり、『走れメロス』を見立てに使用している。ただ、見立てが犯人によるものではなく、探偵役のものであるのが面白い。ある物語や題材を下敷きにして殺人を犯すのが見立て殺人。なぜそのようなことをするのかは、理由は様々だろう。快楽犯かもしれないし、操作を攪乱する目的があるのかもしれない。けれど本書では犯人はそのような見立てをしていないにもかかわらず、解決をもたらす人物がその見立てを準拠沸くとして使用している。
 ところで、なぜ石持浅海を読んでいるのか、そのきっかけを思い出せない。インターネットの永劫のリンクの中で興味をそそられた本はすべて買うようにしているので、そのつながりから手に取ったはずなのだ。こちらも謎である。

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