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2008年10月14日 (火)

081008-081014

ここで紹介されている本の殆どが新しくない本なので、「え、その本今頃読んだのか?」と思われてしまうかもしれません。たまには新しい刊行物も紹介しておきましょう。

Cadalso, José de. Lugubrious Nights.  Trans. Russell P. Sebold. New Mexico: University of New Mexico, 2008.

ごめん、やっぱり古い(オリジナルは18世紀)。刊行年が新しいので容赦してください。

さて、僕の言説ではしばしば『鬱夜』という作品が言及されるのですが、これは1771年くらいから1774年くらいまでの時点で書かれたと推定されている、スペインの作家(職業軍人でもあった)ホセ・デ・カダルソのNoches lúgubresという作品のこと。

全ヨーロッパ的なロマン主義の嚆矢としてだけではなく、作品としても大変面白いので、僕が大変好きな作品ですが、残念ながら日本語訳はまだありません。なので、僕がどんなに言及しても、実際は読めないのです。

そんなこともあって、『鬱夜』に関しては早晩僕が日本語にしようと思っているのですが、日々の些事にかまけているうちに馬齢を重ねてしまっているので、なかなかそこまで到達出来ずにいるのです。

じゃあ、翻訳で読んじゃうから教えてよ、というあなた。18世紀スペインの文学は殆ど英訳がありません。困っちゃうね。フランス語には1821年にLes Nuits lugubresとして翻訳されているのですが、それ以降は多分ないはず(お、95年にミラノでイタリア語版が出てる)。

さて、「光の世紀(18世紀のことね)」研究の大物というのが二人います。ひとりは英国のNigel Glendinning、もうひとりがアメリカのRussell P. Seboldです。どちらも業界では泣く子も黙る巨人で、カダルソどころか18世紀を中心に前後2世紀くらい十分論じられる碩学。いや、つまりなんでも論じられるのだけれど、残念ながらどちらも既に高齢で教職からは退かれていると思います。

さて、そのSeboldは「自分にとって仕事の言語はスペイン語だから」と殆どの論文をスペイン語で書いているので、まさか英語で、しかもこのような形で翻訳を?と驚きを覚えましたが、人生の晩節に入って稀代の碩学が後に残したいと思ったのが、18世紀研究の後進への足がかりだったのだろうと感じます。

クロス装、金文字。薄手の本ですが、カダルソと人生の半分以上を共に過ごし、現在大西洋の西側で最強の18世紀研究者ですから、内容は言うに及ばず。格調高いスペイン語を駆使する御仁は、当然母国語でも闊達な翻訳のメチエを見せる。

冒頭に充実したイントロダクションが収録されていますが、これは主に『ABC』という新聞において、スペイン語で発表された文章を英訳したものです(Sebold, Russell P. Ensayos de meditación y crítica literaria. Salamanca: Ediciones Universidad de Salamanca, 2004でまとめて読める。)。ただ、新聞掲載の折は参考文献はついていませんでした(スペースの都合上しかたがなかった。とはいえ、業界人が見ればすぐに分かるようになっている)。こちらではそれを追加して、もはや完全無欠。カダルソとコンディヤックをいち早く繋げたのはこの人だ!

Sebold一人が馬車馬のように働いても、今日の新大陸における18世紀研究の精華・成果は日の目を見なかったはず。彼の教え子達が世界中に散って、物凄いことになっている18世紀研究です。アメリカにおけるUniversity of Virginia, University of Pennsylvania、カナダのMcGillがさしあたっては最も重要な拠点。今からやりたい人は是非そっちへいってください。そして僕に色々教えてください。

Dr. Russell P. Seboldに(彼はMr. やProfessorよりもDr.と呼ばれるのを好むそうです)僕は一度お会いしたことがあって、英語で(僕のスペイン語は悲惨だからさ・・・)言葉を交わしたことがあります。その時に彼の校訂したカダルソの作品に署名を頂いて、それが僕の一生の宝物になっている。背筋の伸びたかっこいい方でしたよ。

Glendinningともども(この二人、ささやかながらかつて紙上で論戦をしたことがある。ものすごく発展的な解決を見ました。どちらも一流だね!)、いつまでも長生きして欲しいです。

2008年10月 8日 (水)

080929-081005

2008年9月29日から2008年10月5日

 

Ciplijauskaite, Birute. “Lo nacional en el siglo XVIII español.” Archivum. T. XXII (1972). 99-121.

 

恐らくリトアニア出身の彼女は、ウィスコンシン大学でスペイン文学を講じ、母国語にスペイン語文学を翻訳している。ペドロ・サリーナスが専門だが、広範な知識はどの時代を持ってきても論じられる余裕がある。18世紀という、18世紀専門家さえ手を焼く時代を、しかも1970年代に既に縦横無尽に論じており、かつ書誌学的なバックグラウンドも十分とくれば、ヨーロッパ研究において東欧、中欧などの絶大な存在感を力説した学魔高山宏大人の高説に頭を垂れるほかない。つまり、ヨーロッパの東半分に目を向けなければならないということ。わが身の浅学非才を嘆くよりはこの際、軽やかに飛翔する人文学の叡智を心いくまで愛でる方がストレスも少なく、益多いというもの。余りにも重要な論文なので、いつもながらの僕のコメントではなく、日本語で要約をしておく。

なお、掲載誌はオビエド大学が世界に誇るアルチブム。ラテン語でアーカイブを意味する単語だが、略号はAOとなっており、勿論オビエドのOだ。一つだけ残念なのはタイトルに誤植が見られること。文中の誤植は二、三。気にならない程度だが、このタイトルだけは残念。目次は正しいのに。柱は正しいのに。彼女自身の業績を見てもこちらのタイトルが正しいようなので、このように記しておこう。

 

18世紀はフランスかぶれで、従来の伝統から断絶しており、また19世紀の自由思想の幕開けに先んじたと、繰り返し言われてきた。しかし、18世紀を語るのに「新古典」の名より、「啓蒙」こそ相応しい(オルテガ・イ・ガセット)。フランスやイギリスの影響はあるにせよ、スペインの文化をヨーロッパの水準に引き上げようという意図があったのだから。

外国に追従し伝統に反旗を翻したのでもないことは近年の研究で分かっている。愛国者(パトリオット)の主題が現れるのもこの時期だ。外国人が主に戦ったスペイン継承戦争の後(スペインハプスブルグの遺産をめぐる、西ヨーロッパの覇権争いであり、つまり市民戦争、内戦とは様相が異なる)、地方特権の廃止により中央集権化が進められた。ブルボンの王を戴いてフランス流の改革がもたらされた(アカデミア、後の国立図書館となる王立図書館の創設など)とはいえ、それは民衆レベルでの変革ではない。また、同時代イギリスの知識は少なく、スペイン継承戦争におけるジブラルタル、メノルカの喪失や、フリーメーソンへの不信がなお強かった(イギリスの著作は主にフランス語訳を通じてスペインに伝わった)。むしろイタリアからの影響(ルサンはボワローよりもムラトーリにより多くのものを負っているし、カルロス三世はナポリから廷臣を連れてやってきたのだ)が大きいが、フランス革命とその後のスペイン独立戦争は、外国由来の思想に反感を抱かせるに足るものだった。さらには、啓蒙思想は社会の中でごく少数の人々にしか到達しておらず、しかしスペイン的なものの隆盛をもたらしたのは、エスキラーチェの乱や52日の事件に明らかな通り、民衆の力なのだ。

文化的コンテクストに即せば、1770年代アランダ伯が王立劇場などでフランスの新古典演劇の翻訳、翻案を意欲的に上演した折、すでに本国フランスでは新古典演劇の流行は過ぎ、百科全書はの時代となっていた。そして、これらの演劇にたいする拒絶が大半の反応であり、16世紀に人文主義がやってきた際の態度に類似しているが、また同様に宗教からの離反も生まれなかったのである。

一方で自国の伝統は消えることがなかった。ロペ・デ・ベガやカルデロンの演劇は18世紀を通じて上演され続けた。聖体劇の禁止によってこれらが放逐された折にはドイツでAugust Wilhelm Schlegelがスペイン演劇の擁護にあたっている。バルタサール・グラシアンは各国で支持され、ピカレスク文学は英仏で隆盛を見る。さらに、フランスで出版された多くの重要な書物は、禁書目録(ローマ法王庁)に含まれていたために、スペインで流通するのは、ようやく1820年代のことなのである。マヒスモ(ゴヤの『マハ』を参照)もまた、大衆文化レベルでの国粋主義であろう。村祭りは継承されたし、闘牛への反対派残虐ゆえであって、スペインゆえではない。

国の意識を評価する上で、カルロス3世治世下に国旗と国家が制定されたことの意義は大きい。

カディス憲法(1812)にはルソーの『社会契約論』や革命後のフランス憲法との類似が多く見られるが、調印者は旧きカスティーリャの宮廷の精神の復古を目指したのであり、ホベリャーノスは『大法典』や『七部法典』を参照してもいる。カバルスにあてた手紙で彼は(対ナポレオン戦争時に)「スペインはお受けや王のために戦うのではなく、自分達の権利のために戦うのだ・・・。スペインの自由獲得にナポレオンの援けは必要ない」と書いている。

文法、正書法の書が叢生し、言語に意識的でない知識人はいなかった(マスデウはラテン語よりもスペイン語の勉強を奨励した)。モラティンをはじめ、多くの作家が自国の古典に教養の源泉を求めた。

1782年フランスの百科事典に現れた”Qu’est-ce qu’on doit à l’Espagne?”(「世界はスペインに何を負っているか?」)という記事は公私に渡り、国内外で激しい議論を巻き起こす。

文学ではケベードの影響がとりわけビジャロエルに色濃く、Fray Gerundio de Campazaも『ドン・キホーテ』へのオマージュとなっていて、またフェイホーの膨大な書き物はすべてスペイン人に向けて書かれている。

世紀後半もイタリアの詩、演劇の影響は大きいが、何よりもスペインの黄金世紀の詩人の影響が大きく、フランス流新古典の演劇とともに伝統的スペイン演劇が上演されていたことは疑いを入れない。演劇は自国の旧い歴史を繰り返し題材とした(ペラーヨ、オルメシンダ、ルクレシア、レコンキスタの事件やローマ侵攻への抵抗など)。不用意な翻訳が自国の言語を腐敗させる懸念は繰り返し指摘されてきた。

18世紀のフランスかぶれを糾弾する一方で、バローハがドイツに生まれたかったと思ったこと、アソリンのフランス風なところ、バリェ・インクランの初期創作におけるイタリアの影響、オルテガのドイツびいきなどは俎上に上がることがすくない。

ホベリャーノスは書いている。「ボナパルトに抗して戦う私達は私達の王、宗教、憲法、独立のために戦うものだ。いかなる障害にも決してひるむことはない。在りし日の栄光をスペインに取り戻すこと、それが私達の一番の義務なのだ」

2008年10月 2日 (木)

080922-080928

2008年9月22日から2008年9月28日


カルロ・ゴルドーニ『ゴルドーニ劇場』田之倉稔編訳、晶文社、1983.

カルロ・ゴルドーニ(Carlo Goldoni)は1703年にヴェネチアに生まれた劇作家。本業は弁護士であったが、演劇にも才覚を示し、座付作家として数多くの作品を残した。編訳者の「あとがき」によれば「彼は平均四日に一篇の作品を書いたといわれ、生涯一三〇篇を越す喜劇、二〇篇の幕間狂言、五十五篇のリブレットなどを世に送った」とのこと。すごい。

 本書にはIl servitore di due padroni, I due gemelli venezianiの二篇が翻訳されている(「二人の主人を一度に持つと」「ヴェネチアのふたご」)。また、これらに先立って訳者による解説がついているのだが、いわゆる総論的な、退屈な解説ではなく、学術論文で、興味深い指摘が含まれている(「ゴルドーニとふたごのドラマトゥルギー」)。

 18世紀中庸に書かれているのだが、新古典演劇ばかり読んでいる僕からするとドタバタ喜劇で、なるほどこれは民衆にも人気があっただろうなあ、と納得させられる。

スペイン18世紀の文学のフランスからの影響に比して、イタリアからの影響はあまり事細かに言及される機会は少ないが、例えばカルロス三世がスペインでの即位に先立ってナポリ国王であり、スペイン入りに際して多くの官僚を麗しのナポリから引き連れてきたことを考えれば、単にスペインだけのもんだいではなく、地中海におけるスペインのモナルキアという文化圏で一つ潮流を見出すことが出来そうだ。イタリア演劇の影響は、イタリア音楽、オペラの影響と共に(たとえば、『カストラート』という映画のモデルとなったファリネッリはスペインに巡業した)考慮してしかるべきだ。

 とはいえ、ナポリとヴェネチアではかなり文化も異なるので、北イタリアと南イタリアの違いは大なるべしだが、逆に言えばフランスに入ったコメディ・イタリエンヌをさらにスペインが輸入した可能性は少なくないので、海路であれ、陸路であれ、イタリアの影響はやはりどこかで念頭においておくべきだろう。

 しかし、普段僕が相手にしている悲劇とはジャンルが異なり、やっぱりドタバタ喜劇という感があって、啓蒙時代の知識人が求めた様式美などからは随分離れているという印象を持った。とりわけ、役者の技量に多くを任せたという当時の台本と、出版を前提に新たにテクストを整えた今日の台本では、やはり様相が異なると思われるが、実際の上演に際しては地口などがふんだんに取り入れられ、民衆に「ウケる」演劇であったろう。スペインでも喜劇やサイネテと呼ばれる一幕ものの演劇はそうであったと考えられるので、なるほど演劇の研究とはひとまずオーラルなものと書かれたもので異なることとあらためて思う。

 なので、ジャンル的な議論はさておき、内容的に僕の関心を引いた箇所を挙げておきたい。演劇は時代を活写していることがしばしばあるのだ。女主人の手紙を持ってきたズメラルディーナと、応対する召使トゥルッファルディーノの対話から。

 

ズメラルディーナ それなら開けてみましょう。

トゥルッファルディーノ でも、君、字読めるの。

ズメラルディーナ 少しね。あなたのほうがちゃんと読めるんじゃない。

トゥルッファルディーノ いや、ぼくも少しなんだ。

ズメラルディーナ じゃ、一緒に何とか読んでみましょう。

トゥルッファルディーノ 開けるのをじょうずにやることだ。(手紙の一部をはがす)

ズメラルディーナ どうしたの。

トゥルッファルディーノ 何でもない。うまくはがす秘訣を知ってるのさ。ほらね、開いただろう。

ズメラルディーナ さあ、読んで。

トゥルッファルディーノ 君から読んでくれ。君の主人の字なんだから。ぼくよりよくわかるはずだ。

ズメラルディーナ (手紙を眺めながら)はっきり言って、全然わからないわ。

トゥルッファルディーノ (同じく)うーん、ひとこともわからん。

ズメラルディーナ これじゃ手紙を開けたって何の意味もないわ。

トゥルッファルディーノ 待ちなさい。何とかして読んでみようじゃないか。いくらかわかるぞ。(手紙を持ちなおす)

ズメラルディーナ わたしだって少しぐらい字は読めるわ。

トゥルッファルディーノ じゃ、一緒に読んでみよう。これ、Mだったね。

ズメラルディーナ あきれた。それ、Rじゃない。

トゥルッファルディーノ MとRってたいしてちがわないんだな。

ズメラルディーナ リ、リ、リア。ちがうわ。落ち着かなきゃダメ。Mだと思う。ミーアよ。

トゥルッファルディーノ ミーアじゃないね。ミーオだよ。

ズメラルディーナ ちがうってば。下にひげがついてるでしょ。

トゥルッファルディーノ だから、ミーオじゃないか。(166-68

 

 識字率の問題は、あるいはリテラシー(文字が読めること)の問題は、近代を扱う上でとても大事なのだが、いかんせん記録から分からないことがほとんどで、それこそサイレント・マジョリティと呼ぶに相応しい。ここでは、字が読めることの価値(教養として)や、困難(MとRの違いさえ)が活き活きと映し出されている。こういう細かなディテールを集めないと、案外僕たちは文字が読めない人を想像することができない。

 ここに収められている二つの喜劇は、双子や取り違えの主題を扱っている。解説で仔細に検討されているが、魔術的、呪術的側面よりも、さしあたってはドタバタ騒ぎを愛でた。二つ目の作品は脱字が多く見られたが、翻訳は秀逸(昨年別のアンソロジも出たが、そちらは評価が低いようだ)。

 

中島京子『平成大家族』集英社、2008.

 

Heisei 群像劇が好きだ。登場人物が多い作品が好きだ。最年少の人物からすると曾祖母、祖父母、父母(叔父叔母)、自分達世代(いとこ)が同居する緋田家の人々の生活を、一つ一つの短編がそれぞれの視点で切り取っている。ただ、各編が一つの視点に固定されるのではなく、その中でも視点が切り替わっていたりするので、ますます魅力的だ。同様の作品には、ひとつの電車に乗り合わせた人々を描く有川浩の『阪急電車』があるけれど、中島京子の作品では、標題にある「平成」ネスが存分に描かれているので、今日的であり、他人事として笑えないリアリティがあり、かなりおすすめ。

Futon

 奥付を見ると、著者は03年に『FUTON』でデビューしており、まだキャリアがほとんどないのだが、本作品が『青春と読書』でおよそ一年半に渡って連載された作品であることを知るにいたって、息の長い作品を書ける作家であると知れる。次から次とわけのわからない人物が登場する清涼院流水ボラーニョ的な世界とは違って、かなり閉鎖された空間の中で緻密に描写が重ねられていくため、個々の人物の造形が非常に丁寧に為されている。また、群像劇といえばやはり最後にポンとまとまってハッピィな気持ちにさせて欲しいのだが、そこも外さない。そして大家族の解体という、当初願われていた結末に一抹の寂しさも漂うのを、読者だけでなく物語のなかの人物も感じていることだろう。佳作!!!

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